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自己紹介


みなさん、はじめまして!
いおりんと申します。
Webサイトにお越しいただきありがとうございます!

私は現在、学歴なし、スキルなし、貯金なしの
崖っぷちの独身アラフォー女です。

突然ですが、とあることがきっかけで、
Webマーケティングを活用したビジネスを始めることを決意しました。

目標設定を明確にするといいということで、

働く場所を選ばず、1年後に月収30万円稼ぐ。

という設定をいたしました。
パソコンスキルも会社員経験もほぼない自分が、
一年後に30万円は本当に可能なのか?
無謀なチャレンジかと思ったのですが、

実際にスキル0からこの目標を達成されている先人がいること。
自分次第で、実現が可能であると判断したため、この目標を立てました。


先程も申しましたが、私は学歴なし、スキル無し、貯金なしの崖っぷちアラフォー女です。
なぜ私がWebマーケティングの道へ進むことになったのか。

そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。
(少々長いので、お付き合いいただけますと幸いです。)

幼少期:お金がない・・・我慢ばかりの日々

私は、愛知県の市営住宅育ちで、
父は儲けの少ない自営業者、
その父を支えるために
自分の趣味や好きなことを全て我慢して、
仕事と子育てに明け暮れていた母、
秀才な兄との
4人暮らしでした。

一時期、父の事業がうまくいかず
平均世帯年収の半分も満たない、年収200万円で家族4人で過ごしていた時期もあり、
コンビニで500mlのペットボトルのお茶が買える家庭は、お金持ちだと思っていた記憶があります。

「8月生まれは暑いから、クリームが溶ける」という理由で誕生日ケーキは与えられない。
「女は結婚するから、大学に行く必要がない。」と言われ、いく権利さえもらえない。

お金が理由で、子供として親からもらえるであろう特権が得られませんでした。

(冷蔵庫という文明の利器がある中で、ケーキが溶けるって母の脳内はどこの時代を生きてるんだ?と思ったものでした。)

プレゼントや大学以外にも、何かをしたいといえば
お金がないから無理と言われ、選択肢がない日々。


学校の給食をたくさん食べてお腹を満たす。


クーラーや暖房を使うことが禁止されていたため、暑さや寒さから、眠れない。


誕生日やクリスマスに欲しいものがあたり前にもらえている友達をみては、
羨ましいなぁと思っていたものでした。

また、

お前は頭が悪い。

お金がないと同じくらいに
親から言われていた言葉でした。

学年1位か2位だった兄と比べられていたため、

通知表に3と4がある時点で
非常にバカにされていました。

また、私自身も頭が悪いという自覚があったため、
大学には行かず(奨学金を自分で借りてまで勉強をしたくなかった)
高校卒業後に働きやすい
商業科に入学することを決めました。

テストだと落ちてしまうだろうから推薦の面談だけで
受かろうと生徒会に入り、内申点を稼ぎ、合格。

商業科は、企業から学校へ就職の斡旋が来るので、
面接だけで就職ができるところに入ろうと、
同じくテストがないところを選び、
大企業に入社することができました。

高校受験も大学受験もすることなく、何の努力なく進路が進んだのです。

なんだかんだ要領よく生きていましたが、通用しなくなったのが就職してからでした…。

暗黒就職期:入社半年以内に2回入院し、そのまま退職

まともに勉強をしてこなかったツケが、社会人になってやってきました。
エクステリアの営業事務に就職したのですが、先輩からどれだけ丁寧に
アルミサッシの採寸の計算方法を教えていただいても、

全く分からず、仕事ができない。

先輩も頭を抱えてしまい、
給湯室で、ヤバいやつがはいってきたと陰口を言われる日々。
クライアントは短気で血の気の多い職人が多く、少しでも聞き返したら
怒鳴り声でかえってくる。

アルバイトもろくにしたことがなかったため、
目上の人とのコミュニケーションもうまくできず、立ち回りもわからず、
当時メンタルが豆腐だった私は、

入社から半年以内でメンタルが病み
肺に穴が空き、2回入院しました。

あー本当に私ってダメな奴だなぁ・・・と、
病院の天井をぼんやりと見ながら人生に絶望していました。

見舞いに来た母からは
「あんたみたいな頭の悪い子が、福利厚生のいい
大企業に入れたのだから、退院したらすぐに仕事にいきなさい!」

と毎日のように、口酸っぱく言われていたのですが、
片道1時間半の満員電車…
給湯室の悪口合戦
上司のセクハラまがいの発言…
クライアントの怒鳴り声…

命を削っていると感じるほどのストレスと、会社に戻っても
何も役に立てないであろう無能な自分の罪悪感から、

「一生後悔しないから、辞めさせてください。」と、
反対を押し切り辞表をだしました。
私が会社で働いた期間は、たった半年でした。

繁栄期:イベント~モデル業の仕事に就いて、人生が豊かに

※AIで作成した架空の人物です。実際の人物とは異なります。

私は、事務職がきっとできないのだと感じ、
当時、地元で万博が開催され、大量に人を募集していたので、
アテンダントとして働きだしました。
そこで感じたのは…

接客業やイベントって、めっちゃくちゃ楽しい!!!!!!

さすが国際博覧会。来場者の方だけではなく、世界中の人と関われたこと、
笑顔で接客をしていると、相手も笑顔になってくれること、
みんなが笑顔で幸せな職場ってなんて幸せなんだ!

何度時計をみても、時間が過ぎず、帰りたいしかなかった事務職と違い、
時間が過ぎるのがあっという間、接客業は楽しい!!!天職だ!!!と
仕事にのめり込んで行きました。

任期満了後、イベント業に興味をもち、
タウンワークで応募し面談にいくと、そこは
キャンペーンガール(通称:キャンギャル)や
イベントコンパニオンが所属する事務所でした。
(ここに該当するイベントコンパニオンとは、モーターショーやレース、イベントや展示会で華やかな衣装を身に着けて新商品のPRなどをすることが主な業務内容となります)


学歴などは一切関係なく、ビジュアルが多少あればOK。
会社員のように、平日週5勤務じゃなくても大丈夫。
時間も現場に応じて都度変わる。など、飽き性の私にとって
非常に天国のような職種でした。

幼少期の頃の、お金がないという理由で
我慢ばかりの生活から脱出したく

昼にイベントの仕事をし、夜はお寿司屋さんで働き、お金を稼ぎました。
3か月無休で働くこともありましたが、好きなことや目的がある場合は、
休みがなくても働ける自分がいることにも
気づきました。
コンビニで初めて買ったペットボトルのお茶は、とても美味しく感じました笑

ただし、大学生でも気軽にやれる仕事なだけに、
30代までやれる仕事ではない(若さが必要)、スキルアップができない。
日給の天井が見えていたため、今よりギャラが上がるものに転職しようと考えました。

そのころ、キャンギャルからのステップアップはモデルかMC(司会業)が主流で
あったため、まずは、みんなが憧れる職業であるモデルになりたい!と
モデル業をすることに決めました。

夢は大きく!ということで

・百貨店のチラシモデルをやる
・国内、海外でショーモデルをやる
・CMにでる
・テレビにでる

など、上記以外にも8つほど目標を掲げて、壁に貼って、スタートしました。

モデルになろうなんて、もともと容姿に自信があったんでしょ?と言われるのですが、170cmあり、瘦せ型であるということ以外に適正はなく、

実際、

10か月で50回以上のオーディションに行くも、ことごとく惨敗。

現実は、こんなものです。

オーディションには落ちまくり、仕事がなく、アルバイトの日々。
落ちるたびに、自分の存在が否定されたように毎回落ち込み、
感情も安定しない日々が続きました。

ビジュアルが悪いのに、モデルになりたいなんて、
おこがましい夢だったんだ。恥ずかしい。と思いならも、

悔しい!何もできないまま
このまま辞めたくない!!!!!負けたくない!!!!!!

夢を叶えたいワクワクさよりも、
当時はコンプレックスの塊だったので、
そこが原動力でしがみつけていたのだと思います。

 

仕事はないこととは裏腹に、
友達を作ることは、昔から自然と無理なくできていたので、
モデル事務所の同期や先輩たちとはすぐに仲良くなることができました。

ただ、モデルの子たちは、家が比較的裕福で(社長令嬢なども多い)、
ビジュアルが美しく、
人に褒められて育っている子が多かったので、
自尊心が高く、自信に満ち溢れていて、
とにかく明るい人たちが多かったため、真逆の生活をしていた私にとって、
居心地がいい空間ではありませんでした。

ですが、ある日、生まれながらの勝ち組の先輩に言われた言葉で
私は雷を受けた衝撃を受けたのでした。

 

私の周りで、いおりちゃんみたいなネガティブな子いなーい!

 

ぇ…?私、、、ネ、、ネガティブなの…?

 

私は息を吐くようにネガティブなことを言っていたらしく、
めちゃくちゃマイナス思考だったのです。その自分が標準でいたので、
ネガティブである自覚もなく、全く気にしたこともなかったのですが、
先輩に言われたこの言葉で、自分のダメなところが明確にわかったのでした。

人気モデルは、ビジュアルだけではなく、
自信とポジティブなオーラとを装備しており


”この人と一緒にいたい”
”この人と一緒に仕事をしたい”

と思える
魅力があるということに気づいたのです。

先輩の鶴の一声のおかげで、
私がオーディションに受からないのは、ビジュアルももちろんあるけれど

内面の部分も大きいのかもしれない。

そう気づいた私は、上手くいっているモデルの女の人たちの発言や、
身のふるまい方など徹底的にTTP(徹底的にパクる)して、
オーディションで活かし、受かるようになっていきました。

内面が変わると、外見も変わるもので、
キレイになった、と褒めていただける機会も増えていきました。

オーディションに受かった人だけが経験することができる仕事というのが、
嬉しくて嬉しくて、さらに仕事にのめり込んでいくのでした。
といっても、生まれつきのスタイルや美しさの才能には勝てるわけはなく、
変わらず仕事が少ない私は、次の仕事を考えることにしました。

モデルの方は、司会の方ほどしゃべることが出来ず、
司会の方たちは、モデルほどビジュアルがいい人がいない。

モデル経験があり、ステージ映えする(身長が高い)という立ち位置を活かし、
しゃべりの技術を学び、ステージMCとして活動していくことに決めました。

大した才能はありませんでしたが、
自分のやりたいという熱意だけで、モデル事務所に入ったときにたてた
目標をすべて叶えることができました。6年の月日が流れており、当時28歳でした。

そのころ、周りの同業の友達は、年齢的に仕事が減っていくことを知っていたため、
安定を求めて派遣社員に転職をしたり、結婚をしたり、
次のステージを選択していたのですが、

私の会社員のイメージは、
週5で毎日つまらないルーティン
満員電車・事務職・怖い職場の人たち・身体を壊す
という悪いイメージが根付いており、

結婚に対しても、
何もやりたいことができず、
我慢ばかりで父親の奴隷のような母親
をみていたので、

どちらの選択肢にも恐怖を感じることしかできず、継続して仕事をしていました。

自営業時期:お金は稼げるのだけど、楽しくない

自分の今の仕事の収入の上限が見えてきたタイミングで、モデルやMCでやりたいことを
叶えることができたから、次はお金を稼ごう!!!

と、お金にコミットをしました。

幼少期に、まともに旅行に行った経験もなかったので、海外に行きたい!
20代よりも、さらに裕福になりたい!と
司会業と並行して、自分でジュエリーデザインをはじめ、富裕層に
営業をかけまくり、月40万円から150万を手取りで稼げるようになりました。

行ってみたかった海外旅行を経験し、仕事が忙しすぎる時は、
家事代行を頼むなど、人に代わりにやっていただくという経験もできました。

ただ、私はお金の知識も何もなく、勢いとノリ、
やりたいかやりたくないかだけの無計画で人生を突っ走ってきたため

お金を稼げば稼ぐだけ、固定費も増えれば、付き合いも多くなり、
お金がびっくりする速さで無くなっていく・・・。


それを補填するために、朝から夜まで働く日々。
日々の売上の上下の不安。など。

20代のころに比べたら明らかに収入は増えているはずなのに
お金を稼ぐことにコミットしてから
心が満たされない日々が続きました。

そこで、計画性のないノリと勢いでのお金の稼ぎ方ではなく、

着実に自分のスキルを身に着け、安定的に収入を得たい。

それと同時に、働くことにも疲れていて
やはり一人で生きていくことは私には難しいかもしれない。

一緒に支えあって生きていけるパートナーが欲しい。

と切実に思うようになりました。
そこに気づいたときはすでに34歳

私は遅い婚活をはじめました。

その時にある一人の男性と出逢い、
猛烈なスピードでアプローチをうけ、プロポーズをうけたのです。

「いおりちゃんのことは、俺が守るから・・・結婚を前提にお付き合いしよう」

と、甘い言葉でやってきたその男は詐欺師だったのでした・・・。

どん底期:結婚詐欺師に貯金を使い込まれる

今思い出しても、苦しくなるので、簡単に書くと

夫婦になるなら共同財産だといわれ、クレジットカードを持ち出され、

・キャバクラやギャンブルに使われる。
・非常に嫉妬深く、SNSを全部消される
(当時、インフルエンサー的な仕事もしていたので、すべて無くなる)
・まわりの友人たちとの関係をシャットダウンされる。
・いうことを聞かないと、怒鳴り散らされ、グラスを割るなど暴れられる
・実は既婚者で、私と結婚するつもりなど全くなかった。
・別れてから知ったが、結婚詐欺の前科があり、本物の結婚詐欺師だった。

モラハラ詐欺師と共同生活をするという、どん底の一年間を過ごしました。

また、コロナのタイミングともかぶり、続々とイベント司会の仕事はキャンセルに。
司会業というのは、たくさんの人がいないと仕事にならない業種。

このような天災が起きると、働きたくても働けなくなってしまうのだと、
改めて、自分の仕事のデメリットに気づいたのでした。

自分自身の仕事が廃業レベルに無くなっていて、
将来に対して非常に不安になっていたときに、
一緒にそばにいて、甘い言葉をささやかれたことで、
相手を信じ切ってしまい、
全てを許してしまったことが運の尽きでした。

最初からおかしいな?と思った部分もあるのですが、
コロナという人を死へも追いやる
恐ろしい未知のウイルスの出現や

強制的に、隔離生活となり、他友人との関係も
シャットダウンされ相談できない環境。

健康への不安、お金の不安、将来の不安
から、
正しい判断ができず、相手を救世主だと思い、依存してしまったのでした。

キャバクラ代やギャンブル代で見る見るうちに貯金残高が減っていき、
気が付いたらクレジットカードの借金が残っている状態にまで落ちていきました。

このままでは、私の心と、人生が終わってしまう。
借金を自分が払うことになっても、離れなくてはいけないと、
相手が家を出て行ったタイミングで
荷物をまとめ、家を解約し、出ていきました。

気が付いたら、結婚適齢期はさらにすぎ(当時36歳)、精神的ダメージにより
再度仕事をしようという気力も起きず、お金もない、よくよく考えたら資格もない、
一般的な社会人経験というキャリアもない。パートナーもいない。
経験と思い出だけはあるが、今後に活用できるものが何もない。

あー・・・、人生詰んだ。

心の底からそう思ったのでした。病院には行かなかったので適切な診断は受けていないのですが(お金がなく病院に行けませんでした)、鬱になっていたと思います。

19歳から家を出ていたので、親は心配してくれていたようで
快く実家に迎え入れてくれ、少し休ませていただくことにしました。

再生期:自分らしく働ける方法を見つけた!

もうやりたいことは全部やった。海外旅行も、体験も経験も・・・
もういつ死んでも後悔はしないほど、結婚以外に自分はやりたいことをやった。
もう死にたい・・・と思いながらも、大好きな両親や友達の顔が悲しむのが
目に見えるので
死ねない。実際に死ぬ勇気なんてない。

そして今、私は生きているし、生きていくには、お金がいる。お腹も空く。稼がねば。

と、友人の紹介で短期アルバイトで
百貨店で売り子をすることからリスタートを切りました。

ずっと人前に出る仕事をしていたので、どれだけプライベートで嫌なことが
あっても
カメラの前やステージの前では最高の笑顔を提供していたおかげで
仕事をしている最中は無意識でも笑顔が作れるようになっており、
作り笑顔から本当に元気になっていきました。

やっぱり仕事は好きだなぁと思いながらも、
1日8時間、立ちっぱなしで仕事をするというのも
年齢的にも体力的にもしんどい
ものがあるというのも痛感しました。

また、同じ現場に入ったアルバイトの方から、
え、独身なのに短期バイト?と言われたことで、
自分の今の立ち位置の低さを痛感し

さらに、同じ”働いていない”ということに関しても
結婚していれば、子供がいなくても「主婦」と名乗ることができて
結婚していなければ、「ニート」になる

ということも再認識し、独身ってめっちゃ肩身狭いやん!と、まともに
パートナー探しをしていなかった自分を恨みました笑

けれど、過去を悔やんでも意味がありません。未来を見ようと考えるのですが
自分自身が、今まで好きなことばかりやってきて、
これからアルバイトや会社員などで長期的に働くことなんてできるのだろうか・・・。

生きていくためにはどうしたらいいのだろうか?

と、人生で初めて将来を見据えた転職活動を開始しました。

そんな中で、

・学歴、年齢関係なし(何歳からでもスタートできる)
・必要資格なし

・スキル構築ができて、また自分で稼げるようになれる
・職場に行く必要がなく、場所を選ばず、パソコン一台で仕事ができる
・在宅なのに、月100万以上稼いでいる人もいる

学歴コンプレックスの私には夢のような業界がありました。

それが、Webマーケティングの世界なのだと

インターネットを通じて知ることができました。

これだ!!私の次のやるべき仕事は!!!!と感動と興奮をしたのでした。

ですが、
私のプロフィールを読んでいただきお気づきかもしれませんが、
事務職や勉強が大嫌い(受験勉強経験なし)で、
さらにはパソコン関係の仕事が全くなかったということを…。

Webマーケティングこそ、パソコンの知識が必要になってくる、
頭のいい人しか出来ないのではないかという弱気な自分が出てくるのですが、
貯金0円、アラフォー、お先真っ暗で、

正直、人生崖っぷちすぎてやるしかない!!!!!!

という緊急性に駆り出されているところなのです。

 

具体的にどうしたらいいのかがわからなかったのですが、モデル時代に、

自分のなりたいことを実現されている
環境に入れば、なりたい自分になれる
という経験から、


現役トップマーケッターである
青木創士さんのWebマーケティングのスクールに入りました。

私のような人生は稀かもしれませんが、

・学歴がなく、転職先を探すも、月給の上限が見えていて未来が見えない
・煩わしい人間関係を無くして、自分のペースで仕事がしたい
・会社に依存しず、自分で稼ぐスキルが欲しい
・将来に漠然とした不安を抱えているが、
今、具体的に何をしたらいいのかわからない
・収入を増やすことで、選択肢を増やし、自分らしく生きたい

こう感じている方は、いらっしゃるのではないでしょうか。
勉強することが大嫌いで、パソコンの苦手意識もあり
ずっとそこから逃げてきて向き合えなかった、
独身、アラフォー(現在38歳)、スキル無し、学歴なし、
ナイナイ付くしの
崖っぷちの私がWebマーケティングを学び、

 

教えていただいたとおりに
実行し、本当にパソコン1台で収入を得ることが出来たら・・・?

 

同じお悩みを抱えているみなさんにも、解決できると思いますし、

 

これから発信する私の情報も、お役にも立てるのではないかと思い、
その過程や具体的な方法をブログにすることに決意したのでした。

Webマーケを身につけて、1年後に月収30万円を稼ぐことに挑戦するブログ。
ぜひ、このリアルな奮闘記をご覧いただけたら幸いです。

また、ここまでご覧いただき誠にありがとうございました。